この記事のとおり、息子の色覚異常がわかったわけだけど。
正直、シミュレーション画像を見たとき、とても衝撃的でショックだった。
私自身が色に価値を置いてきた人生なのも相まって余計に。
こんなにカラフルな部屋も、息子には同じように見えていなかったんだ、という。
じゃあ、これから色んなところに旅行に行っても、息子にはその綺麗な景色の100%は見せてあげられないということ?
同じ物を見ても同じような感動を得られないということ?
日常生活に困るか困らないかなんて全然気にならなかった。
同じ1型2色覚の私の父が普通に生活しているんだから生活には困らないだろう。
ただ。
世界から色がぐんと減ってしまったら、人生の豊かさが大きく欠けてしまうんじゃないか。
息子の進路や何か大きな岐路に立った時、選択肢を狭めてしまうんじゃないか。
(実際、警察官・パイロット・鉄道関係などなどつけない職業があります)
そう思うと、
私の遺伝子が息子の人生に影を落としてしまったようで…
ごめん。ごめんね。
色覚異常(色覚多様性)はX染色体に乗って遺伝する病気だ。
色覚異常の男親が女児をもった場合、女児は発症せずとも100%保因者となる。
その子が将来男児を産むと25%の確率で発症する。(まあ高いと思う)
父は私に教えてくれても良かったのに。
でも教えてくれたところでどうしようもないか。
(可能だったとしても)顕微授精で選んだかと言われれば、そうはしなかっただろうし。
でも謝っても謝っても足りない。
現に息子は、さっそく小学校受験という選択肢がほぼなくなった。
(少なくともクーピーを使用し色の指示があるところは無理)
息子が色んなことをそつなくこなせるほど、私が邪魔をしているようで申し訳ない気持ちになった。
(もちろん息子は深刻に思う必要ないから「ごめんね」とは言ってなくて、特定の色が似て見えるということしか伝えてないけど。)
こうやってショックを受けることも、当事者の方からしたらなんて自分本意なと感じられると思う。
だってそれほど困ってないのに勝手に可哀相がられて、そっちの方がショックだわって話だ。
発覚当時は正直とても沈んでいて、SNSに不安や泣きごとを言っては当事者の方から喝や慰めの言葉をもらった。
「親に謝られたら逆に悲しくなります」
「生まれたときからこの見え方が普通なので何も思いません」
「私には上と下の写真は同じに見えるけど充分カラフルです」↓
本当にそのとおりで、返す言葉もない。
自分が恥ずかしかった。
私が好き勝手吐き出すことで2色覚の人を傷つけていることにその時やっと気がついた。
やっぱりどこかで「正常な世界を見られないなんて、人生の楽しみが1つ減ってしまった」と思ってしまったんだと思う。
“正常”や”普通”なんて、どの立場から見るかで変わるものなのに。
今も、息子はこの色の世界を当り前に生きているのだから日常で困ることはそんなにない。
点灯している信号の色は場所で見分けている。
ある日、息子は登園中に言った。
「ママはさ、息子ちゃんが赤色と茶色は似て見えるって思ってるでしょ?
ちゃんとわかるよ。赤はポストのいろでしょ。茶色は地面のいろでしょ。」
息子は今までの知識と組み合わせて、このパターンならこの色だってちゃんとわかっている。
これからもそうやって成長していくんだ。
私は私で、治ることのない全身の症状があって、子どもの頃は周りにびっくりされて揶揄される度に傷ついてきた。
子どもの純粋で、気遣いのない正直な物言いは当時の私には刃物みたいに鋭くて今も抜けない。
思春期になって、どうしても皆と違うことを受け入れられなった私は
親に「なんでこんな風に生んだのか」と詰った。
親からは「ごめんね」と謝られたわけだけど、
気持ちは晴れるどころかこうやって思い出してしまう。
息子の色覚障害がわかったとき真っ先に、
―――ああ、因果応報だ。
私もきっと息子に同じことを言われる。
と思った。怖くなった。
息子の色覚異常のことを考えて、こうやって文章にしているといまだに涙がでる。
当事者の方からしたら、そんなに深刻にされると傷つくというのも理解しているのに。
最初よりは大したことないと捉えようとしているけど、なんでかな親としての責任からなのか、どうしても息子を思えばこそ勝手に目が熱くなってしまう。
きっと息子は「ああ、そんなこと?」ってぐらいに捉えて、息子のカラフルな世界を存分に楽しむ。
世界は色だけではないんだし。
時には、周りを頼って。(黒板の字や理科の実験、焼き肉の焼き加減とかね)
周りに聞くことを恥ずかしく思わないで、自信を失わないで。
今は日常生活については心配などなく前向きな一方で、
息子の将来については申し訳なく思う気持ちで半々かな。。。
色覚異常を疑ったきっかけはこちら